書評 ナボコフ『ロリータ』

ナボコフ『ロリータ』の感想を書いていきます。

 

ロリータ (新潮文庫)

 

「ロリータ」はソ連の亡命作家ナボコフによって1953年に書かれた作品。その内容から大きなセンセーションを巻き起こした。 「ロリータ」という語はここから派生したものらしい。

 

ソ連作家の作品を読みたくて購入したこの作品だが、内容、舞台は殆どアメリカである。ただし主人公のハンバートはヨーロッパ(旧世界)の人間であり、アメリカ(新大陸)のロリータとの対立構造も読み取れる。

 

以下、読んだ感想を書いていく。(注:この下はネタバレしかありません!)

 

 

感想

 

まず「序」を読んだ段階でいくつかの事実が分かった。つまり、これから始まる本文はハンバート・ハンバートが書いたという体になっており、そして彼は犯罪を犯して獄中におり、そこで死んだ、という事実だ。私はその小説のタイトルから、てっきりハンバートが少女に恋をしたが、成長するにつれて魅力がなくなり、最終的に殺したのだと思った。そんな先入観をもって読み進めていった。

 

序にこれから現われる登場人物が今どうしているかが書かれている。私は上記のように少女は殺されたと思い込んでいたため、ここに名前が挙げられている人たちの中には主人公が恋した相手はいないと思っていた。

 

そこに書かれていたのは「ルイーズ」、「モナ・ダール」、「リタ」、「リチャード・F・スキラー夫人」、「ヴィヴィアン・ダークブルーム」。さて、この5人は作中でどのような活躍をするのだろうか?

 

読み進めていく度にこの5人の名前が出てこないか確かめていたのだが、一番最後に出てきたのが「リチャード・F・スキラー夫人」である。p474の手紙の最後の差出人、「ドリー(ミセス・リチャード・F・スキラー)」にたどり着いたときに受けた私の衝撃と言ったら!ハンバートはロリータを殺さないこと、そして赤ちゃんと一緒に死んでしまったことが分かった。

 

では一体ハンバートは誰を殺すのか?と私は考えてしまった。そしてハンバートがローから逃走の手助けをした犯人の名前を聞く場面、

 

細心なる読者ならとうの昔にご明察の名前を口にしたのだった。(p483)  

 

 

これを読んだときの私の落胆!私は細心なる読者ではなかった......

 

実は小説の至る処にヒントが隠されていたらしい。全て読み返してはいないが、いくつか例を挙げる。

 

p56「演劇人名録」の書き写しに「クィルティ、クレア」と普通に名前が書かれている。その著作の一つには『幼いニンフ』がある。(もう一つの『稲妻を愛したレディ』はナボコフの分身ヴィヴィアン・ダークブルームとの共作。そしてハンバートの母親は雷に打たれて死んでいる。)ここから気付くのは無理だろう。

 

p160、ジーン・ファーローの台詞「今度はきっと、でぶのアイヴァーがアイヴォリー着姿でいるところに出くわすんじゃないかしら。あの人、ほんとに変人よ。この前なんか、彼の甥の話でまったくいやらしいことを聞かされて。なんでもその話じゃー」

 →アイヴァーの甥とはクィルティ・クレア。

 

p247,248にかけてロリータをじっと見つめる男

→スイスにいる私の叔父ギュスターヴにちょっと似ているという記述から

 

p386、ガソリンスタンドでローとなれなれしく喋っていた男

→ギュスターヴに多少似ていたとう記述

 

p395、モナからの手紙の中「キル・ティ」

 

 他にもたくさんヒントとなる記述はあったのだろうが私は読み逃した。

 

 

訳について

 

もう一つ書きたいこと。おそらくではあるが、この小説は訳が素晴らしいと思う。訳者は若島正さん。ついこの前まで京大の教授だったらしい。今は名誉教授。

 

原文は多分主に英語で書かれ、少なくない箇所でフランス語が用いられているはずだ。しかもナボコフ独特の言葉遊びやメタアファーにあふれている。あらゆる欧米文学に通じていないと理解出来ないに違いない。私がすごいと感じた訳の箇所を挙げていく。

 

p216 「血昇理、脈打知、燃幣、疼岐、狂袁斯久。昇降機賀多賀多、止理、賀多賀多、廊下能人々。死能他邇誰母此子袁余加良奪比去流那加禮!痩多幼比少女波、有難比事邇、何母氣豆加無比。」

 

突然この文章が出てきたときには驚いたが、なんとなく分かった。えせ万葉仮名だ。註には原文はマカロニック・ラテンでできた混成体、と書かれていた。マカロニック・ラテンとはなにか知らないが、この訳のおかげでニュアンスは分かった。私の考えた読み方を書いておこう。

 

「血のぼり、脈打ち、燃え、疼き、狂おしく。昇降機カタカタ、止まり、カタカタ、廊下の人々。死の他に誰もこの子を余から奪い去るなかれ!痩せた幼い少女は、有り難いことに、何も気付かない。」

 

他邇母(上の文章を書いていたらこう変換されてしまった)、言葉遊びが至るころにちりばめており、それも上手く訳されている。たくさんあるので、今ぱらぱらとページをめくって目に付いた所だけを挙げる。

 

p54「(マクシモヴィチだ!突然、この選択肢(せんたくしー)が記憶によみがえってきた)」

→マクシモヴィチはタクシー運転手

 

p200「医者の話では何の病気かよくわからないそうだ、と私は言った。とにかく、胃腸らしい、異常?いや、胃腸だよ。」

 

p451「兎はゴルフでうさばらし

    種馬は手品でたねばらす。

    蜂鳥はロケットで飛んでいて鉢合わせ

    蛇はポケットがやぶれてとんだ藪蛇。」

 

原文は一体どのようだったのだろうか。どんな文章からこんな訳が生まれたのか。ぜひ確かめてみたい。

 

まだまだ書きたいことがあるが、長くなってしまったので続きは明日。