ソルジェニーツィン「イワン・デニーソヴィチの一日」

ノーベル賞受賞作家ソルジェニーツィンの「イワン・デニーソヴィチの一日」の感想を書いていきます。

 

イワン・デニーソヴィチの一日 (新潮文庫)

 

主人公のイワン・デニーソヴィチ、シューホフはラーゲルという牢獄で暮らしている。題名の通り、シューホフが起きてからよる寝るまでの一日のラーゲル暮らしが非常に丁寧に書かれており、これはソルジェニーツィンの実体験が元になっていると言われている。

 

読む前は牢獄に一日中閉じ込められている人の話か、看守に虐げられ暴力を振るわれながら作業に従事する囚人の話かと思っていた。しかし、実際に読んでみるとかなり印象が変わった。囚人たちは厳しい酷寒の中でしぶとく生き抜こうとしている。シューホフも自分の仕事内容に誇りを持って過ごしている。一日はこのように締めくくられている。

 

一日が、すこしも憂鬱なところのない、ほとんど幸せとさえいえる一日が過ぎ去ったのだ。(p255)

 

 

とはいえ、一日の始まりは気怠い雰囲気が漂っている。これから辛いことが待っていることが分かっているときの、あのなんとも言えない憂鬱な時間が上手く表現されている。私が特に面白い表現だと感じたのはここだ。

 

いつも作業に出るまえにはこんな束の間のひとときがあるのだ。もうすべて規定の事実なのに、きょうは作業はとりやめだ、だから作業出動の合図も鳴らないだろう、といった空気が辺りにただよっているのだ。(p34)

 

 

私はここを読んでなぜか高校の部活を思い出した。きつい練習が始まる前の、何か重大で突発的な出来事が発生して練習が中止にならないか、とかもう少し休んでから着替えを始めようといった気持ちである。

 

シューホフは朝の時点では身体の調子が悪かったのだが、いざ作業場に出てきて仕事を始めると途端に治ってしまう。彼は自分の仕事に誇りをもっているのだ。それぞれの作業の細かい描写は面白い。

 

訳者の木村浩さんの解説に書いてあって気付いたのだが、シューホフの仲間の囚人たちにはありとあらゆる階級だった人たちがおり、皆異なる背景をもっている。シューホフを主人公にとりながらも他の登場人物たちの描写も多い。この点はゴーリキーの「どん底」と似ている。

 

シューホフ以外の登場人物の背景を描写しているという点で、私が特に気になったのは昼休みに班長のチューリンが自分の過去を語り出す場面である。クラークの息子で赤軍に属していたチューリンがどのようにしてここに送り込まれたかを淡々と話しているのだが、まわりの人間でそれをきちんと聞いているのはほとんどいない(唯一ブイノフスキイが反応する)。合計すると7ページ分くらいは話しているのだが(p122~129)、主人公のシューホフもタバコをもらうことに専念していて感想もない。細かい話の内容に対して周りの反応がないことがとても気になった。

 

おそらく読者にチューリンという人物の背景を伝えるために細かく描写しているのだろう。しかし、何年もラーゲル暮らしをしているシューホフにとっては、もう何回も聞いた話だったのだろうか。だからなんの反応も示さなかったのだと思う。(逆にブイノフスキイはラーゲルに来てまだ3ヶ月しか経っていない(p50))

 

一人の囚人の普通の一日を書いているにも関わらず、周りの様々な人々、そしてラーゲルの外の世界も想像することが出来る点でこの作品は面白かった。