若島正『ロリータ、ロリータ、ロリータ』
ナボコフ『ロリータ』の感想を以前書きました。
ここで言及した若島正『ロリータ、ロリータ、ロリータ』が手に入ったので、感想を書きたいと思います。
訳者である若島正さんがいくつかの場面に絞って解説している本です。私が思っていたより『ロリータ』は深く、大事な伏線を読み飛ばしてしまっていたことに気付きました。
作者のナボコフがチェスプロブレムを作るのが好きだったという話から始まり、すべての登場人物、物体、出来事がある意図をもって配置されているということが示されています。
多くの重大な点が指摘されていましたが、私が最も重要だと感じたのは語り手のハンバートの役割です。若島さんは「二重露出」と読んでいるのですが、私たちが『ロリータ』を読むとき、小説の中の「現実」の背後に私たちが生きている現実世界を透かし見ています。そもそもハンバートは「信頼できない語り手」であり、他人の台詞を改変していたりします。そして地の文はハンバートの当時の考えか後に書いているときの考えなのか分からないのです。(小説中に出てくるタバコの銘柄は現実世界の銘柄を思い出せるようになっているが、それは本当に小説内でそう呼ばれていたのか、ハンバートが改変したものなのか分からない。)
(「信頼できない語り手」と言われて私が真っ先に思い出したのはテレビアニメ『恋物語』の語り手、貝木泥舟。詐欺師の彼は物語の最後に死んだということになっていたが、後の『花物語』で生きていることが確認される。(幽霊という説もある))
最後に、以前の投稿で私が書いた「ヘーゲル的ジンテーゼ」の解釈についての答え合わせをしておきます。
私は死んだ二人の女性は「シャーロットとロリータ、もしくはアナベル」だと考えましたが、それは半分合っていました。どういう事かというと一般的な解釈ではシャーロットとロリータのことを指しているらしいのです。シャーロットを指していることは分かるのですが、もう一人のロリータが考えられる理由の一つは、牛でした。201ページでローが「牛なんか二度と見たくないわ、むかつく」と言っていた牛が300ページ後の547ページにもう一度出てくるのです。この牛も伏線を解くヒントとなっていました。
ところが若島さんは新たに「シャーロットとドロシー」という考えを提示しています。このドロシーというのは私はすっかり記憶に残っていませんでした。これは小説内ではない現実にいた人で「見せかけの事故」で「意図的に殺された」人、一方のシャーロットは「本当の事故」で「意図的でなく殺された」人。小説世界の外にいる我々の立場から見ると、この二つを結びつけるジンテーゼとは現実と虚構が結びつけられた次元ということになります。
小説内に出てくるどんな些細な出来事も一つも無駄が無く、何かしらの伏線や暗喩になっていることが分かりました。『ロリータ』再読の必要性を感じさせてくれる本でした。