網野善彦『日本中世に何が起きたか』

網野善彦2012『日本中世に何が起きたか』の感想とまとめを書いていきます。

日本中世に何が起きたか 都市と宗教と「資本主義」 (角川ソフィア文庫)

 

「無縁」について

 

最初に自然と人間との境界について論じている。人間と自然との境界、言い換えると聖と俗を結びつける場所である。具体的に場所で言うと浜、浦、河原、中州、峠、人間の施設で言うと宿、関、渡、津、泊など。この場所を網野は「無縁」と呼んでいる。そこに生きた人々は僧侶、巫女を始め、山賊、海賊、商人、芸能者など多岐にわたる。さらにはこの本を通して問題に挙げられている非人、遊女もこれに含まれる。(聖と俗を結びつける物として後半には太鼓、聞耳が挙げられている。)

 

商業に限って言えば、聖と俗の境界で一旦神の物になるという手続きを踏まなければ商品として取引できなかった。さらに金融に関しても古くは神への贈与が元になっているので境界でしか出来なかった。

 

遊女、非人について

 

上記のような場所に生きていた特殊な職能をもった人々は神仏や天皇に直属していた。神社に属する人々は神人、寺に属する人は寄人、天皇は供御人である。ここには様々な手工業者や芸能民、遊女、非人が含まれている。つまり、神仏とそれと同一視された天皇の権力が絶大だった頃は遊女、非人も聖別された存在であり、国家によってその地位を保証されていたのだ。供御人や神人は課役、関料を免除され活発に活動していた。しかし、南北朝の動乱以降、天皇・神仏の権威が確実に失墜したために、遊女や非人の地位も低下し、それまで聖の方向で別格視されていた人々が賤の方向で見られることになってしまう。江戸時代になると完全に身分を社会的にも場所的にも固定化されてしまうことになる。

 

南北朝の動乱前後の13世紀から14世紀にかけて認識の大きな転換があったのは確実で、それは銭貨の本格的浸透を伴っている。また、この時期には今までの農本主義と呼ぶべきものと商人などと結びついて行う「重商主義」と呼ぶべきものとの対立が起きそれがあの動乱に繋がっている。そんな中から優れた宗教家が現われることになる。

 

日本社会の新しい捉え方

 

今までの日本社会の捉え方の誤りもいくつか指摘されている。例えば、日本社会が古来から農業を中心とした社会であったこと。「百姓」すべてがみな農民だった訳ではなく非農業民の比率もかなり高かった。

 

また、資本主義の源流についても従来よりも早い始まりを想定している。これに関しては資本主義の定義が何かを決めておく必要があるが、11,2世紀には信用経済がそれなりに展開しつつあったと述べている。

 

感想

 

遊女たちがもとは天皇に直属していたということに驚いた。このような人たちは聖別されていたが、神仏の権威が落ちた途端に一気に賤視の対象にまで落ち込むことは果たしてあり得るのだろうか?

また、p52~53にかけて戦国期以降、江戸時代において宗教は社的な力を失ったと述べているが、それは本当だろうか。江戸時代の異常な経済発展は仏教の力なしにはあり得ないということを、前にまとめた寺西重郎(2018)「日本型資本主義」が主張していると思う。

 

kyshami.hatenablog.com

 

全体を通して13~14世紀にかけて大きな社会の転換があったことが分かった。この転換後の認識が現代にまで続いている。資本主義の源流というのもかなり古いらしいということも分かった。やはりヨーロッパの封建領主とは日本は違う。日本の封建体制とは何なのか?そんなものあったのか?そうなると古代、中世、近世、近代、現代という時代区分も意味が分からなくなってくる。むしろ区分は邪魔なのではないか?経済ということで考えれば13世紀と14世紀の間に画期が1度あり、それから今まではずっと資本主義が続いているのかもしれない。