チェーホフ『三人姉妹』

チェーホフ『三人姉妹』の感想を書いていく。

 

三人姉妹 (1950年) (岩波文庫)

チェーホフ『三人姉妹』は1900年に書かれた戯曲。砲兵旅団長の父と母に先立たれた三人姉妹(上から順にオーリガ、マーシャ、イリーナでマーシャとイリーナの間に息子のアンドレイがいる)とそのもとに集まる人々の生活が書かれている。

 

三人姉妹はモスクワに行くことをずっと夢見ているが、第四幕でその夢がついに一人もかなえることが出来ないことが確定する。それどころか、それぞれが愛した人たちが第四幕で一斉にいなくなってしまうのである。一人はポーランドに、そして一人は永遠に去ってしまった……

 

登場人物の一人、ヴェルシーニンは降りに触れて自分の哲学を披露したがる。それは、数百年後かの生活は幸福なものであろう、そしてそのために、それを創造するために現在の我々は生きており苦しんでいるのだというものである。

 

いくつか、自分用に気付いた伏線やポイントを書き留めておく。

4p95「ソリョーヌイは自分のことをレールモントフだと想って、詩まで書いているくらいだ。」は第二幕「けれどもぼくにはレールモントフの性格がある。(そっと)僕は少々レールモントフに似てさえもいる」からも確認できる。そしてレールモントフは少なくとも2回決闘をしており、二回目の決闘で亡くなった。(wiki調べ)

 

P97マーシャの台詞「もう渡り鳥が飛んでいる……(上をながめる)白鳥か、それとも雁か……可愛い鳥どもよ、幸福な鳥どもよ……」はもちろん、自由な鳥への憧れもあろうが、第二幕p48~49のトゥーゼンバッハ、ヴェルシーニン、マーシャの一連の議論を受けている。ここではトゥーゼンバッハは渡り鳥はなんのためにどこへ飛ぶのか考えることなしに飛び続けると言い、それに対してマーシャは人間には信仰がなくてはならない、何のために生きているのか知っていないと人生はくだらないことになってしまうと述べている。第四幕でヴェルシーニンとの別れに際してマーシャが鳥に思いを馳せるということは、人生の意味を見失ってしまった故に何も考えずに飛ぶことの出来る鳥をうらやましく、もしくは妬ましく思ったと考えられる。

 

第四幕p107~108でマーシャとヴェルシーニンとの別れの際にマーシャがプーシキンの詩の一節を思い出すのは第一幕で彼と出会ったときにも口ずさんでいたから。

 

第四幕p109ナターシャの台詞「(イリーナに)ねえあんた、まるきりあんたの顔に似つかないわよそのベルトは……それは無趣味よ。何か明るいものにしなくちゃ。」は第一幕の「オーリガ「緑のベルトをしていらしたのね!あなた、それはよくないわ!」 ナターシャ「まあ縁起がありますの?」 オーリガ「いいえ、ただ似合わないの……そしてなんだか変よ……」」をそっくりそのまま言いかえした形になる。ここからは家庭の実権がナターシャに移ってしまったことが示唆されている。