南条あや『卒業式までは死にません』

かなり前に書いた下書きが残っていたので投稿しようと思います。

 

南条あや『卒業式までは死にません』の感想。

卒業式まで死にません―女子高生南条あやの日記 (新潮文庫)

 

南条あや」という名前を聞いたことのある人はどのくらいいるのだろうか?年代が上の方のほうが知っていると思う。世紀末に現われたネットアイドルだ。彼女が高校三年生のとき、ネット上で書き始めた日記がインターネット上で人気を集め、多くのファンが生まれたが、本人は高校卒業直後に自殺した。

 

リストカッターであり薬マニアでもあった彼女に多くのファンが生まれたのは彼女の類い希なる文才にある。死後もその影響は大きかったようで、アーティストなどに多く影響を与えている。私が彼女のことを知ったのも音楽バンド「アーバンギャルド」の楽曲「平成死亡遊戯」からだ。

 

高校三年生の5月28日から死の直前の3月17日までの膨大な量の日記は彼女の死後に恋人や父親、ファンの手によってサイトが開設され、そこで公開された。今でも「南条あや保護室」で検索すれば全てを読む事が出来る。特に興味深いのは大学の精神病院に入院していたときの生活を描いた「入院生活篇」。彼女の優れた観察眼によって精神患者さんたちの様子が精密に生々しく書かれている。

 

新潮文庫から出版された本書はその日記のほんの一部である12月から3月までのみを収録している。彼女の思考の本質に少しでも近づきたいなら「南条あや保護室」を全て読べきだ。

 

私が読んでいて驚いたのは人を引きつける文章能力だ。うつや不眠や抑えられない自傷行為について書いてあるのだが、とても明るい調子で書かれている。しかし、その明るさによって逆に苦しみが助長されてしっかりとこちらに伝わってくる。表現が豊かで詩の才能もあり、観察眼も鋭い。どんどん増えてやめられない薬、止められない自傷行為......そんな彼女にとってこの日記こそが自分を客観的に捉え直すことのできる唯一の手段だったのだろう。

 

彼女については本当に様々な意見がある。彼女を取り巻く人間関係も怪しい部分が多い。それはサイトを見れば、本を読めば分かると思う。彼女がなぜ自殺したかについても様々な憶測があるが、私が感じたことを書く。それは自分の作品を完成させるためだ。彼女はその文才で有名になり、自虐的で明るい表現がたくさんの人たちの共感やら同情やら反感やらを買い、注目をされるようになった。そこには将来への不安とか周囲の人間や環境からの圧迫があったのだろうが、注目されるにつれて彼女は将来の道とか金銭面とか精神面で安定を得るようになったのだろう。するともう人を引きつける文章を書くのは難しい。つまり彼女は悲劇的なことに、自傷をしていなければその存在意義が曖昧になってしまうのだ。精神的な疾患は治った方が良いに決まっているが、大衆が彼女に求めたものは治癒ではなく自己犠牲だった。

 

彼女は自殺をもって自分の作品を完成させてしまった。それがなければこの本も出版されなかっただろうし、有名にならなかっただろう。私にはそれが悪いことだったのか良いことだったのか全く判断が付かない。

 

彼女はロマン主義者と言える。一般にロマン主義者は早死にが多いと言われる(尾崎豊とか)が、彼らは自分の命を削って歌ったり書いたりした姿が印象的なのであって、それが無くなってしまったらそこらにいる凡百の表現者と同じになってしまい、大衆の求めていた姿とは異なってしまう。そうなる前に自分の死をもって理想の姿のまま消えなければならない。つまり彼らは苦しみから救われることを望んでいるのに、それを得てしまったら芸術家としての存在意義がなくなってしまうのだ。想像するだけでも尋常でない辛さ。逆にそれが多くの人を熱狂させるのだろうが......