通俗的な歴史に触れずに生きられるか?
この前、大学のとある授業で、「通俗的な歴史ものと歴史学の違いについてのあなたの意見を述べよ」という300字程度の小レポート課題が出ました。
ここで言う通俗的な歴史ものとは、時代小説や大河ドラマなどの一般大衆向け創作物のことです。
私は、通俗的な歴史ものの目的はあくまでも人々を楽しませることであり、そのためには事実を脚色して伝えることもある点で、歴史学とは異なると思います。異なる意見としては、歴史学も現在の世界観に基づいて過去の証拠から一番可能性の高い事実を考えていくという意味では物語の創造に過ぎないため、通俗的な歴史ものとなんら違いはない、というのも考えられます。
それはさておき、授業の最後にこの課題に関して質問する人がいました。
「通俗的な歴史ものにこれまで一回も触れたことがないので書けません」
......いや、嘘つけ!!
訳の分からない質問に思わず笑いそうになってしまったのですが、質問者はいたって真面目な様子。そんな人がいるとは先生も想定していなかったらしく、戸惑っています。
先生が「本当に今まで一回も触れたことないんですか?大河ドラマとかでも良いんですけど......」と確認するも、その人は見たことないと繰り返すばかり。結局、その人だけ違う課題になりました。
やれやれ......頭のおかしい人もいたもんだな、と思っていたのですが、よくよく考えてみれば今までに一回も通俗的な歴史ものに触れたことがないというのは論理的には可能か......とも思えます。
大河ドラマとか水戸黄門とかを1回も見たことない人もいるだろうし、時代小説や歴史マンガを読まないでも生きていける......
だけど本当にそんなことあり得るのか?
疑問に思います。歴史学を学ぼうとしている人が歴史を好きになったきっかけは司馬遼太郎や池波正太郎にはまったとか、信長の野望や戦国BASARAなどのゲームで好きになったとかでしょう。純粋な歴史学だけを見て勉強しようと思ったとか、ありえるのでしょうか?
そうでなくとも私たちの周りには通俗的な歴史ものであふれているように思います。
例えば、中学や高校の国語の授業で触れたことがないか、教科書に載っていた作品を思い返してみました。
ところが、あまり思いつかないのです。例えば、ごんぎつね、少年の日の思い出、竹取物語、走れメロス、蜘蛛の糸、山月記、こころ......歴史物とは呼べそうにないですね。源氏物語とかはどうでしょう?ちょっと微妙でしょうか。平家物語は......?これは歴史ものと呼んでも良さそうです。私はこれくらいしか思いつきません。だけど質問者は平家物語を習わなかったのかもしれないし......
ということで、この話を友人にもして議論した結果、今までの人生で通俗的な歴史ものに触れずに生きることはあり得なくはない。けれど絶対どこか本人の気付かないところで触れているはずだ、ということになりました。
とにかく、一人の質問からこうも考えさせられることになるとは.......大学には多様な人がいるんだなあと再認識できました。