『日本経済の歴史1 中世』Part.3

『 日本経済の歴史1 中世』のまとめ。

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 前回は第2章をまとめたが、今回は都合により第5章まとめ。

 

第5章 中世の交易(綿貫友子)

第1節では中世の特徴として権門体制、職制社会、自力救済型社会の3つを挙げている。そしてこれらの特徴のために商人たちは、神人、寄人、供御人、公人などとして権門の配下となり競合者に対して優位に立てるような保護を求めた。それぞれの権門の保障は十全でなかったために複数の権門に従属することもあった。

 

第2節では対外貿易について述べている。中国からの渡来品である唐物は威信財としてて機能していた。遣唐使停止から鎌倉期にかけて中国との貿易は制限されていたが、民間の貿易商人の往来は活発であり、平氏をはじめ、その貿易に関わった人々は巨大な利益を得た。明の時代には倭寇の活動が顕著となったが、そこには明の海禁政策によって朝貢貿易から締め出された人々が含まれていた。

 

第3節では国内商業について述べている。まず貢納と交易とが切っても切れない関係にあると指摘されている。11世紀半ばには官物の賦課基準が地域の主要生産物を米現物に換算した上で3斗と定められた。これは交易を前提としている。また、貢納物輸送に商品を混載することで、津料・関銭を払わずに私的商売をすることも中世を通してあった。その後12世紀頃から神人や寄人が現われて商業活動を行った。さらに時代が進むと権門の権威が薄れるとともに、新興勢力として権門に属さなかったり各国戦国大名に保護されて商売を行う者が現われた。

 

第4節では主に市場の創設について論じている。鎌倉幕府は強引な買いたたきや行商人、人身売買、販売用の酒を禁止した。これに対して室町幕府は土倉の活動を積極的に認め、市場拡大策を採った。