ゴーリキー「二十六人の男と一人の女」

今回はゴーリキー著「二十六人の男と一人の女」中村唯史訳.2019.光文社古典新訳文庫の書評です。いつも通り、書評というか感想文ですが......

 

二十六人の男と一人の女 (光文社古典新訳文庫)  

 

なぜこの本を買ったかというと、大学で訳者の中村唯史先生の授業を受けていたからです。「スラブ文学講義」という大変面白い授業でした。特にソ連文学が面白いと思いました。

 

この本には4つの短編が入っています。表題の「二十六人の男と一人の女」、「チェルカッシ」「グービン」「女」です。今回は印象に残った「女」について書きたいと思います。

 

舞台はカフカースプーシキンの時代から異民族の住む土地として取り上げられていました。そこにはロシアから逃げてきた人々が集団で滞在しており、その中の一人の男の目線から語られます。ストーリー性はあまりなく、信仰深いロシア人女性のタチヤーナと主人公が一夜のちぎりを結ぶのが盛り上がりどころでしょう。5年後、刑務所にいた主人公はタチヤーナも刑務所にいることを知って物語は終わります。

 

特に印象に残った台詞は主人公がタチヤーナに向かって言ったこの言葉 

 

「人々はぶざまに生きているよー不和や卑小さのなかで、貧困や愚劣なことに数えきれないほどに侮蔑されながら」 

 

まるで現代日本人が常日頃抱いている感情を代弁したかのようです。

 

ゴーリキーの作品には基本的に救いがないように思います。ルン・プロの生活の実状をただひたすら丁寧に描写しています。彼らの生活は現代日本人の生活とは比べものにならないほどひどいでしょうが、人々が抱いている感情には通じるものがあると思います。生活がどれほど便利になった現代でも救いがなく、毎日の仕事をどうにかこなすことでどうにか生きながらえている様子は革命前のロシアと変わりありません。精神的な豊かさは何年経っても進歩ないのでしょうか。

 

ブラック企業に勤めている現代日本社畜ゴーリキーのような、苦しい生活の様子を本にしたら売れるんじゃないでしょうか、売れないとしても社会に影響を与えることは必至でしょう。(小説を書く暇なんてないから社畜なのでしょうが......)