サークルをこっそり抜けた男

私は今、大学で2つのサークルに所属しています。しかし、1回生のときはもう1つ、合計3つのサークルに入って活動していました。その3つ目というのは、とある登山サークルでした。

 

最初の新歓で山に登ったときの体験が楽しく、頂上の景色がとても素晴らしかったので入ることにしました。1回生の5,6月はほぼ毎週のように近畿の山に登っていました。人生初のテント泊をしたりして山に慣れ、夏休みには1週間くらいかけて標高約3000メートルの北アルプス、白馬岳に登りました。日の出を眺めたり、真夏にも関わらず降り積もっている雪の上を歩いたりして、とてもいい経験になりました。今でも最高の思い出です。

 

しかし2回生になって......急にやる気がなくなってしまいました。1回生の冬の間は山に行かなかったので、サークルの人たちとの関係性が薄くなってしまったのです。

 

運営は2回生だったのですが、面倒くさくなって山にも一切行かなくなりました。せっかく高い登山靴とかザックとか買ったのに.......

 

サークルメンバーの誰にも会わずに一年ほど経ち、ついに2回生の秋頃、連絡もなしにしれっとlineから抜け出しました。サークルの友達もみんなブロックして......

 

やれやれ......抜けたことは全く後悔していないのですが、なんとなく後ろめたさがありましたね。一部仲の良くなった友人もいたので何も言わずに抜けたのは申し訳ないです。しかもサークル運営の手伝いも全くしてませんから......

 

特に山がきつかったり嫌な思いをしたから抜けた訳ではありません。完全に私の飽き性の故です。

 

折角、登山の技術と道具を身につけたのでいつか個人的に登山できれば良いと思います。

独りでいたい男

私はいま一人暮らしをしているのですが、とても快適です。

 

実家にいたときよりも自由で、好きなときに寝て起きて食事して風呂に入ることが出来ます。(その分、自律性が必要ですが)

 

たまに一人でいるのに耐えきれないという人がいます。何かあれば友人を家に呼んだり、長期休みの度に何度も実家に帰省する人たちです。

 

そういう人たちのことはあまり理解出来ません。そんな人たちにとって今回の自粛期間は辛かったことでしょう。

 

私にとっては、常に誰かと関わっていなくてはいけないのは大変です。たまには人と話したくなることもありますが、自分が話したいときに話したい人とだけ関われる方が楽です。

 

自分でやらなければならない家事の面倒くささを加味しても、一人の気楽さのほうが良いです。

 

こうなってくると、将来、誰かと住むなんて考えられません。

 

長期休暇に地元の友人がうちに泊まりに来ることがありますが、どんなに仲の良い友人でも何日も私の家に泊まっていると、そろそろ出て行いかないかな、という気持ちになってしまいます。

 

将来も誰かと住むことは出来そうにありません。一緒に住むなら猫くらいがちょうど良い気がします。

人前でおしっこしてる感覚

題名だけ見たら露出癖があるのかと思われるでしょうか。

 

そうではありません。

 

例えば、自分とそれ以外の人では見ているものの色は本当に同じなのか?という問題があります。リンゴを見たときに私はこれを赤だと思って「リンゴは赤い」と言いますが、自分以外のある人は私にとっての緑色を「赤色」だと思っている。だからリンゴも郵便ポストも消防車もその人は「赤」と呼ぶので、会話上に支障は無いが、実際にその人から見えている色はもしかしたら私が見たら「緑」と呼ぶべきものかもしれない、という問題です。

 

それと同じように、自分だけがトイレにいると認識していて、他の人から見たら大勢の面前で要を足しているように見えるのではないか、という不安です。

 

酔っているときによくなります。自分の認識に自信がもてないんですね。今自分が向き合っている小便器は、本当に他の人たち全員が共有して認識しているまぎれもない小便器なのか、それとも自分だけが小便器だと認識しているものなのか分からなくなります。確かめる方法はありません。不安になりながらおしっこしています。

 

友人に話したら、私の説明不足のせいか理解してもらえませんでしたが、以前twitterで同じようなつぶやきを目にしたことがあります。この感覚、分かる方はいるでしょうか?

不老不死になれるなら

もしも不老不死になれる薬があるとしたら飲みますか?

 

私は即座に飲み干します。

 

よく、不老不死になったら周りの人たちがみんな死んでいって、独りになってしまう、それに耐えられないという人がいますが、私にはそうは思えません。自分がいなくなることがこの世で一番辛いことだと思うのです。自分の意識がなくなるんて意味が分かりません。

 

友人とたまにこういう話になることがあります。ほとんどの友人は、昔は死ぬのが怖かったけど小学生くらいでもう気にしないようにした、という人ばかりですが、たまに死ぬのが怖いという人がいます。私と同じです。しかし、その友人と話しても本当に恐いよねと言うだけでそれ以上、怖さが払拭されたり、諦められたりすることができるわけではありません。どうしようもないです。

 

さすがに大学生ともなれば、こんな話をする機会も減ってきましたが、個人的には1ヶ月に1回くらいは考えます。それも大抵は夜になって考えることが多いので眠れなくなります。

こんな考えは子どもっぽいのでしょうか?大人になってもこんなこと考えている人はいるのでしょうか?

バイト再開

今までオンラインだった塾講のバイトが今日から対面式に戻りました。

 

私は別にどちらでも良かったのですが、やはりオンラインだと授業の質が落ちると判断されたようです。

 

出勤しようと思ったら早速、対面の弊害が!外はかなりの雨が降っていたのです。駅まで25分ほどの道のりを鞄を前に抱きかかえながらとぼとぼ歩いていきました。

 

塾に着くと、以前の光景とは一変。今までは机の真ん中に講師が座り、両脇に生徒が座るという形で1:2で教えていたのですが、今日行くと、教師と生徒の間にビニールカバーのしきりができていて、飛沫感染を防止していました。

 

生徒が来て授業が始まりました。

 

今日は1コマだけだったのですが、1人の生徒が元気がないようでした。オンラインのときは質問にたいしてしっかり答えてくれたのに、今日は声が小さく反応が薄いのです。

 

授業終わりに塾長に話してみると、1:1のオンラインのときは自分が話さなきゃと思ってしっかり答えてくれるが、1:2になったらもう一人いるから遠慮して話さなくなってしまったのではないか、とのことでした。この話、どこかで聞いたことあるような......

 

kyshami.hatenablog.com

 

私でした......!

 

それはともかく、確かに対面は間違えた問題が確認しやすかったり、情報の伝達が少なくてすむのですが、オンラインのほうがいいこともありました。今日は帰る時間も遅くなったし......雨に濡れたし......

 

本当にどっちもどっちですね。

 

今回のコロナで社会はどのくらい変わったのか気になります。自粛中は今までの生活が根本的に変わるような気がしていました。しかし、最近は以前の状況にだんだん戻りつつあります。やはり人間は体制維持を好むということでしょうか。