書評『日本型資本主義』


寺西重郎『日本型資本主義 その精神の源』

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初めての書評です。緊張しながら書いています。

今回紹介するのは寺西重郎(2018)『日本型資本主義 その精神の源』です。

 

最近私は政治経済系の新書を読むのが好きです。多くは大学の友人の影響ですが...

この本はいつも時代遅れの本を読んでいる私にしては最近の2018年に初版が出版されました。著者は一橋大学教授の寺西重郎先生です。

 

日本史学、経済学、宗教学など多様な分野にわたって述べられていますが、内容を一言で言うと、日本の資本主義の精神は仏教によって形成されたということです。マックス・ウェーバー著「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(私的声に出して読みたい本の題名ランキング1位)の日本版と言ったところでしょうか。

 

構成は次のようになっています。

第1章 イギリスと日本の近代資本主義

第2章 資本主義の精神の宗教的基礎

第3章 高度成長期としての江戸時代

第4章 西洋との出会い

第5章 異種精神の相克と共存の時代へ

 

日本型資本主義精神の源 

 

本書の核となるのはおそらく第2章でしょう。資本の資本主義の精神が仏教を基礎として形成されたことが述べられています。

仏教の基本的な考えは輪廻転生であり、人々は輪廻からの脱却、つまり悟りを目指します。六世紀に日本に伝わった大乗仏教では出家しなくても悟りを得ることが出来るとされていました。しかし、これには問題点が。貧しい人々が日常の中で十分な善行を積み重ねることは困難だったのです。そのような人々は毎日の仕事に追われ、日常の中で修行することができませんでした。

この問題を改善したのが禅宗をはじめとする鎌倉新仏教です。キーワードとなるのは易行化。簡単に言えば、日々の労働に追われる貧しい人でも念仏や座禅といった簡単な行為で善行が蓄積できるようになった、ということです。この結果、仏教は大いに広まり、職業に精進することが悟りのための道具として認識されるようになりました。つまり、自分の仕事に一生懸命取り組むのは悟りを得るためなのです。

 

しかし、鎌倉新仏教にもまだ解決しなければならない問題が残っていました。それは社会に十分な道徳律を提供することが出来なかったという点です。これは江戸時代に入って解決されたことが第3章で述べられています。鎌倉新仏教では道徳は戒律として設定されていましたが、戒律は修行僧のためだけに作られたものであり、職業分化が進んだ大衆社会には受容されませんでした。この分化する社会と平等社会を目指す仏教者の対立を、一向一揆などの社会の混乱に結びつけて述べている点が個人的には面白いと思いました。

江戸時代に入って職業分化が制度化され、職分毎に道徳律の設定が出来るようになりました。また、石田梅岩二宮尊徳などの努力によって勤勉・倹約・正直などを重視する通俗道徳が形成されました。この道徳律の進化は江戸時代の経済成長の一因になりました。通俗道徳は大学の授業でも少し習いましたが、貧しい者は道徳的にも貧しい、つまり貧しい人は努力が足りないと見なされるという自己責任論をもたらした、と私は理解しています。(これについては安丸良夫さんの諸論文に詳しく述べられていると思います)

 

西洋資本主義精神との違い

 

この他にも明治における西洋資本主義との出会いや、近年の世界の資本主義精神の相克と協調の様子など、多くのことが論じられていますが、ここでは最後に私が個人的に面白いと思った、それぞれの宗教に淵源をもつ西洋と日本の資本主義精神の違いを簡単にまとめて終わりたいと思います。

 

西洋の精神を作り上げたキリスト教圏の人々は、絶対神の作り上げた最高の創造物である公共世界の厚生に寄与することで、神の栄光を高め最後の審判で救われる可能性を高くしようとします。ここでは自分にとって身近な他者は意識されません。経済的行動においては公共世界の物質的充足のための禁欲的職業行動として現われます。

一方、仏教の精神に基づく日本人は日常の職業行動に精進し善行を積み重ねることによる輪廻からの脱却を目指しました。また、自分の善行や悪行に関わる可能性のある身近な他者への深い関心が生まれました。そして一本一本の草木も人間と同じように仏性をもつという思想から、自然は人間によって管理・支配されるべきではないという考えが生まれました。

この西洋と日本の精神の違いは具体的な経済活動においても多くの違いを生みます。本書で挙げられている一例を紹介すると、身近な他者を重視する日本の企業は信頼関係のできた銀行からお金を借り、西洋の企業は無数の匿名の個人からなる公共世界から資金調達をする、という傾向があります。

 

おわりに

日本の資本主義の精神の源には仏教が潜んでいることを日本史をひもとくことで明らかにした点に本書の意義があると思います。

日本の精神の特質である身近な他者の尊重、職道的求道からは現状を変えようという思考にはなりにくいように感じます。 毎日夜遅くまで働き、家に帰ったら死んだように眠ってまた次の日も朝早くから仕事へ向かう......このような辛い生活も悟りのための修行と見なされて容認されるところがあるのでしょうか.......と、これはかなり極端な見方かも知れませんが。

  

参考文献 寺西重郎(2018)『日本型資本主義 その精神の源』中公新書