黒田明伸『貨幣システムの世界史』Part.1

黒田明伸2003『貨幣システムの世界史』岩波書店.のまとめ。

貨幣システムの世界史―「非対称性」をよむ (世界歴史選書)

日本の経済学史の本を読んでいると必ずと言っても良いほど引用されているので私も読もうと思ってbook offで買いました。以下、まとめ。

 

 序章

 現在では日本でも共通で円という単位で一つの通貨が流通しているので想像しにくいが、歴史的に見れば一つの国内で複数の通貨が共存していることは多い。しかも複数の通貨それぞれは使用される場所に応じて異なる評価のもとで取引された。例えば地方の日常取引の場では小さい額面の通貨のほうが評価が高いし、逆に上層の都市との交易に関わる場では高額の金銀貨のほうが価値が高い。

 

1章

 ここではマリア・テレジア銀貨を取り上げている。マリア・テレジア銀貨は18世紀中頃に鋳造され始めたオーストリアの銀貨だが、オーストリア本国で使用されなくなった後もなんと20世紀に至るまでアフリカ・西アジアにおいて使われ続けた。1935年までオーストリアが発行していたが、その後はイタリアやフランス、イギリスが鋳造権を得て発行した。ただし、マリア・テレジア銀貨は高額通貨で日常取引では銅貨などが使われた。通貨の棲み分けが出来ていたのだ。マリア・テレジア銀貨はアラビア半島のアデンを中心としてスーダンエチオピアを環流していた。環流と言っても各地で退蔵され容易には戻ってこない。そのため、毎年毎年追加で大量に銀貨を供給する必要があった。

 

2章

 ここでは1章のマリア・テレジア銀貨とは対称的な地域内で流通した通貨を見ている。地域内の日常的取引で使用された通貨は往々にして貨幣素材の価値や公権力による保証を必要としない。それではどのような力が国家の発行する通貨ではない私鋳銭などを流通させるのか。それは地域市場にストックされた商品全体の有する販売可能性である。飢饉などによって生じた米の高い需要が私鋳銭を人々に受領させるのだ。

 中国や日本など東アジアでは主に銅貨が、西欧では主に金銀貨が用いられたが13世紀にモンゴル帝国が東西を結びつけたことをきっかけにして銀の流通と少額貨幣の普及が起きた。そのモンゴル帝国が崩壊すると銀の流通は滞る。

 

3章

 使用されている貨幣が地方毎に異なるというのは、商業の未発達を意味しない。18世紀以降のインドでは日常取引の場では貝貨が、特定の商品の高額取引では銀貨が、交易や納税などにはさらに別種の銀貨が使われていた。このように通貨が競存していたわけだが、銀貨の流通量が減ると貝貨の相場が高まるというわけではない。それぞれの通貨はそれぞれ独立した流通の回路をもっており、取引需要が高くなれば(例えば貝貨は季節によって取引量がかなり変動した)その相場は高くなる。

 

ここから感想。日本中世において国家の関与しないところで渡来銭が使用されていたことを最近知って本当にそんなことあり得るのか?と思っていたが、世界の事例を見てみると、国家の関与なしに他国の通貨が流通することは普通の現象だったようだ。むしろつい最近までそうであったとは驚きだ。また通貨が競存しているということは、日本中世において近畿では宋銭が、関東では明銭が好まれたというような地域差も説明できるだろう。